LOG IN

勉強ができても、人間的にできていないと

by 宮脇慎也

今回は私の「思い」に関することです。


「勉強ができても、人間的にできていなかったら何にもならない」

塾の先生をやっていると、どうしてもこのような意見をおっしゃる方に出会います。
先日も出会いました。
ちょっと唖然としてしまいます。

まず第一に、生徒がかわいそうです。
真摯に学問(の基礎)に向き合おうとしているのに、なぜか「人間的に…」などと言われる。

この問題に関する私の意見は決まっています。

はい。
もちろん、その通りです。
「勉強ができても、人間的にできていなかったら何にもならない」
当然です。

そして、その言葉は全ての技能に当てはまります。

「野球ができても、人間的にできていなかったら何にもならない」
「サッカーができても、人間的にできていなかったら何にもならない」
「ピアノができても、人間的にできていなかったら何にもならない」
「料理ができても、人間的にできていなかったら何にもならない」
「美術ができても、人間的にできていなかったら何にもならない」

しかし、勉強以外では、このように言う方はほとんどいらっしゃらないですよね。
なぜ学力に関してだけは、それを身につけると人間的にダメになっていくイメージがあるのでしょうか?


「生きる力」

抽象的ですが、勉強に限らず子どもたちが身につけるありとあらゆる技能は、人間ができていないと何にもならないですが、それぞれに「生きる力」につながっていくでしょう。

サッカーや野球の技能がそのまま「生きる力」となる子はごく少数でしょうが、それを身につける中で培われた忍耐力や根性、体力、コミュニケーション能力はきっとその子に糧になるでしょうね。

だから、私も子どもたちが運動やその他の習い事に勤しむことを応援しているのです。

そして、それは勉強にだって当てはまります。

高度な知識や見識を身につけていく過程の中で、それぞれの子が思い悩み、苦しみ、真摯に学問の基礎に向き合い、身につけようとしていく。
その過程は、必ずや子どもたちの将来に資するはずです。

なかなかキツイことですよ。
参考書や問題集に向き合い、分からない・知らないことを一つ一つ吸収し、自分のものにしていく。

そんなことをやり遂げられる子が、人間的に成長していないわけがないと思うのです。

さらに、勉強はその内容そのものが、子どもたちの視野を広くし、世の中の流れを見ることを可能にし、自分の将来の選択肢をより多く与えてくれるものです。

習得する意義は大いにあるでしょう。
それがなんで、冒頭の言葉を定期的に浴びせられないといけないのか。


学習に関してポジティブなイメージを

これをご覧の全ての保護者の方にお願いです。

できれば、勉強にネガティブな印象を子どもたちに与えることなく、ポジティブな印象を持たせてあげたい。

「これから塾? かわいそうに」なんて言葉はかけないでください。
「これからサッカー? かわいそうに」なんて言わないですよね?

「これから塾? 楽しんでこーい」

と言ってあげてください。

勉強に真摯に向き合う子どもたちを、ぜひ応援してあげてくださいね。



宮脇慎也
OTHER SNAPS